痛いの 痛いの 飛んでけ~ 今この時を愉しもう

出会いラポールミサでは心と身体の調和という観点を軸に、たましい(潜在意識)からの思いを聴いていきます。たましい(潜在意識)が輝いていれば本来の自分らしさ、その人らしさを存分に発揮し、最大限に今このときを愉しむことができるでしょう。そして、そのお手伝いをいたします。

人を看護する。意味を調べると「人の世話、介抱する。目でみて触る」とあります。小さい時、転んだり、お腹が痛いときにお母さんや先生がしてくれた「痛いの痛いの飛んでいけ!」これが究極の看護だと私は思います。
ツアーナースで10,000人以上の大人や子供たちと接する中、体の痛みは心の痛みと比例していることに気づき、心について勉強を始めました。オーラソーマに出会い、そして、ラハシャ博士のハートからのカウンセリングで行うインナーチャイルドのワークを受講し自分の中の傷ついた子供がいることに驚きと共に苦しんでいたことに気づきました。さらに“シータ波”と心理学について学んでいるときに、知人の医者から米国看護協会推奨のシータヒーリングという言葉を教えてもらいました。

お腹の底から感謝がわいて本音で楽しいと感じる時

オーラソーマは目で見える潜在意識、そして、盲目のヴィッキーが創始者であることに興味がわきます。彼女はどうやって色を見分けたのでしょう。このオーラソーマは視覚だけでなく、もう一つの体の感覚で選ぶヒーリングです。そして、自ら選んだボトルは自分だけの処方箋ともいえます。
MISAメソッド、シータヒーリングなど無意識のユニークな思い込みなどで、エネルギーバランスが崩れ体の不調が出てきたとき、また、失恋、リストラ、やる気がないなど、中には腰痛や、肩こり、頑固な便秘(7日間以上)にも改善するケースが多いです。但し、無意識へのアプローチについて、病状などで不適応な場合もございます。クライアント様のご相談内容を聴き、近医院へご紹介、またはお医者様からのヒーリングの許可、または指示を頂いてから施行する場合もございます。

私のオーラソーマとシータヒーリングの出会い

出会いオーラソーマの講習を受けている時、女性ホルモンの数値が男性より低く20前後でした。ボトルを使用しながら半年経過して再度検査したら100まで数値が上がり正常に戻っていました。そして、そのすぐ後に、シータヒーリングを知り、たった一度のシータヒーリングのセッションで、6年間に渡る不眠症が改善されました。
あの時のセッションを今も覚えていますが不思議な感じでした。淡々と潜在意識のこだわりを観て、声を聞いて、思い込みの置き換えをしヒーリングが終わる。私は今のがセッション?と驚きました。
しかし、結果は、あの日以来、不眠に悩む事が無くなりました。小さい物音や暗闇が気にならなくなりました。ツアーナースで今まで接して来た子供達、病院で接した患者様の体の痛みと精神の不調和は、生きるためのエネルギーの反応の一つだったのだろうと理解しました。
私自身の実体験で揺るぎない真実に巡り会いました。これからも人々の本音と向き合い、生かされる喜び、生命力の輝き、朝露のように純粋な心を思い出すプロセスを応援いたします。

プロフィール

ラポールミサ
資格:看護師

H20/ 9: 英国カラーセラピー オーラソーマL3
H21/ 4: 英国カラーセラピー オーラソーマ PPS
H21/12: シータヒーリング基礎、応用、解剖学プラクティショナー 修了
H22/ 3: シータヒーリング基礎、応用、豊かさ USAにて、インストラクター取得
H22/ 8: シータヒーリング解剖学 USAにて インストラクター取得
H22/10: トートタロット マンガラ・ビルソン師事   取得
H22/10: チャクラヴィジョン マンガラ・ビルソン師事 取得 
H22/11: 足占い:トウリーディング(SWHA)KCミラー師事  レベル3取得
H23/5 : ポラリティセラピー 基礎修了 ゲイリー・ストラウス師事
H23年~ 玉堂貫主算命学研究所 所長 白鳥swan  算命学 修練中 
H25/5 : 官足法指導員コース卒業

経歴

・17歳で准看護師取得後、医療法人仁心会にて勤務:内科、精神科(急性期~回復期、重症障害児施設)を経験後、某大学付属病院勤務(混合病棟、癌など)
・33歳の時、看護学校を受験し、36歳で看護師となる。
・就職先は治験のCRC業務、環境省のプロジェクトなど経験する。
・治験と病院の西洋医学や現代医療に疑問を感じ、39歳ツアーナースになる。
・平均1年間で150日以上ツアー勤務、特に小中学生の登山の仕事ばかり選んでいく。
・半年間、北海道へ僻地医療で単身赴任する。
・41歳、夫の両親の転地療養のため上田へ引っ越す
・上田を終の住処と決め、上田の長野大学前にサロンを開業する。
・サロンを別所温泉に移転する。

家族と私の事

鹿児島の田舎で8人兄弟1番上に女1一人で7人の弟の大家族の中に育つ。
埼玉の人と結婚し今年22年目である。子供達もすでに成人する。
 2008年、主人の父親が脳梗塞で右半身麻痺、感覚性、角回性失語症となり回復期の施設を探す。
 2008年秋、父の鹿教湯病院入院で上田の居心地の良さに決心し主人の両親と私の3人だけ先に移住する。
 2009年9月、ラポールMISAを開業し現在に至る。
 2010年1月、ハイチ大震災サポートボランティアの活動を始め「上田の人々」として活動を始める。
 2011年3月、東日本大震災チャリティフリマへ参加、東塩田振興会の仲間と南相馬市へ 炊き出しに参加する。
 2012年3月、『上田の人々』→【上田のひとびと】に生まれ変わり『1/4の奇跡&cocoonライブ』を開催する。
 2013年4月、バディ・スタッフと命名し旅行同行看護師として指名を受けフランスへ行かれるご家族の旅行へ同行する。